ピぴっ-ぃぴっ-タン の お告げ

嫌われる事が多い?B型(血液型)ですが、気楽に好きな事をつぶやきます。

お城

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 先日、なごや嬢について記事にしましたが、その時の三英傑の城シリーズをまとめました。
名古屋城は徳川家康が建てた城です。豊臣秀吉の軍勢と軍事面で緊張が高まっている状況で要所となる名古屋に築城を決め1614年に完成したようです。
「尾張名古屋は城で持つ」と言われる事がありますが、天守にある金の鯱(シャチホコ)は有名ですね。大昔から名古屋のシンボル的存在だった名古屋城ですが、惜しくも空襲で焼失し昭和34年に再建されています。
 最近では、名古屋城の木造新天守にエレベーターを設けないと発表されたら障害者団体が反対とたくさん報道されていました。本物の城にエレベーターはない。忠実に復元すべきという意見や障がい者が困る等々、当然の事ですが色々な意見があります。何を重要と考えるかによって賛否が分かれると思いますが、昔の城を忠実に復元しつつ、障がい者の人たちが困らずに最上階まで上がれるというのがベストな答えだとは思います。それにしても、なごや嬢で掛けるのは少し失礼な気もしてしまいますが、名古屋の土産でなごや嬢も10年以上も販売されていて割と歴史が長くなってきてるので特に問題はないのでしょう。
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 続いて織田信長の初期の居城として知られる清洲城で愛知県の清須市にあります。
 清洲城といえば、本能寺の変により織田信長が天下統一を成し遂げる前に明智光秀に討たれた、
その直後に清洲城で織田信長の仇を討った羽柴秀吉の大頭を抑えようとする柴田勝家が織田家の重臣を集めて清須会議を開いたというのがよく知られています。そこで織田信長の正当な後継者を決めたようですが、結局、秀吉の親しかった織田信忠の幼少の嫡子・三法師(さんぽうし)が継ぐことになり、信長死後の領地の再配分(新知行)も行われたようですね。
 この清須会議で織田家筆頭の柴田勝家の意見より羽柴秀吉側の意見を通すことに成功し、これを契機に柴田勝家、織田信孝を追い込んでいき羽柴秀吉は織田家家中での実権を付けていったと言われている。その後、江戸時代に清洲城は清洲藩の本拠となりましたが、徳川家康が清洲の廃都と名古屋遷都を命じ、清洲城の部材が名古屋城築城のための資材として利用され3年後には、よく言われる「清須越し」で様々な機能をすべて名古屋に移転する事業が完了したようです。
 現在では、清洲町がふれあい郷土館として清洲城天守閣を再建しましたが、その後に西枇杷島町、清洲町、新川町が合併し清須市となっても市のシンボルとして市民に親しまれているようです。

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 続いて徳川家康が誕生したという岡崎城で愛知県の岡崎市にあります。
岡崎城は、日本100名城、日本の歴史公園100選にも選ばれている城跡です。
 家康は、幼少期に10年という長い期間を織田信秀(信長の父)、今川義元の人質となっていましたが、桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した事により自立したのが19歳で以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。1560年に岡崎城主となった家康ですが、10年後の1570年には本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)へと移し、嫡男信康を岡崎城主としました。秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳です。将軍・徳川家康の生誕の地である岡崎城主は、大名にとって誇りだったと伝えられています。
 このように愛知県は、英雄の生まれた場所で戦国時代にもっとも影響を及ぼした三人の武将(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)、三英傑の生誕の地として有名ですね。

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 続いて大阪城です。豊臣秀吉が浄土真宗の本山として栄えた本願寺の跡地に1583年に大坂城の築城工事を開始したとされています。秀吉は、織田信長の安土城をモデルとしつつ全てを凌駕する城を築城からわずか 1年半後の1585年に華麗で優美な天守を完成させたとされています。まだ不安定だった秀吉の政権が権力を知らしめる象徴としての天守を早く完成させたかったと思われますね。天守完成後も断続的に城造りが進み築城開始から15年の歳月を掛け徐々に築き上げられました。
この時の大坂城は、現在の大阪城公園の約 4倍の広さとされています。この当時の大坂城は、4重の堀に囲まれた日本一の巨城だったようですね。
 その後、秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳ですが徳川幕府は、焼け落ちた豊臣の大坂城の上に盛り土をして完全に埋めてしまい、その上にまるごと新しい徳川の大坂城を築きました。秀吉が築いた大坂城を消し去って、さらに大きな徳川スタイルの城を築くことで、徳川時代の到来を目に見える形で示したとされています。
 しかし、大坂城ほど大規模な城の築城者が、何故か豊臣秀吉と思われている?城主は歴代将軍ですが、将軍自身の入城がほとんどなく徳川嫌いの大坂の民が豊臣の城だと言い続けたみたいですね。その後、学術調査で地下から火事の痕跡、石垣の発見で豊臣の大坂城が地下にそのまま眠っていることが分かっています。
 何となく、なごや嬢から、戦国三英傑を思い出して写真を探してたら都合よく名古屋城、清須城、岡崎城、大坂城の写真が見つかったので少し調べながら描いてみましたが、天下統一を目指した3人の戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」ってスゴイですね。でも戦争だらけだったなんて信じ難いですが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 
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 国宝に指定されている松本城は、長野県の松本市にあります。現存する五重六階の天守で日本最古です。国宝の五城は、姫路城、犬山城、彦根城、松江城と、松本城ですが、松本城は1936年に国宝に指定されているようです。松本城は黒いというのが特徴の一つですが、城主として松本城を築城した石川氏が、自らの城を豊臣家の城と同じようにして豊臣秀吉への忠誠心を示したとも言われています。
 松本城は、戦国時代の1504年に築城された深志城(ふかしじょう)というのが前身のようですが、深志城は、島立氏が建てたとされています。築城後、詳しい城主は不明で30年程、武田信玄によって統治されていた時期もあったようです。1582年に織田信長によって武田氏が滅亡させられ同年に起きた本能寺の変にて小笠原洞雪斎が深志城を奪還し、のちに城主になった小笠原貞慶が松本城と改名したようです。
 そんな松本城を観覧するとなると少々、交通の便が悪く自動車で行く方が良いかも知れません。ただし冬場に車で行く際にはスタッドレスタイヤくらいは必須なので春~秋がお薦めですね。また、天守内を観覧する際は階段のみで狭く急な階段が続くので注意が必要です。天守内は土足禁止となってるので入口で靴を袋に入れて持ち歩く事になります。また、本丸庭園及び天守内はペットを連れての入場は禁止されているようで、バック、ケージ等に入れても不可という事なので注意が必要です。但し、補助犬は入場可能という事らしいので事前に管理事務所に確認しておきましょう。
 それにしても自分が歴史など詳しくないので松本城は国宝で有名というものの歴史上の関係する人物があまり分からないので説明できてませんが、きっと現地まで行けば何かと説明資料もあると思いますので興味のある方は、是非、行ってみて下さい。GoToトラベル?

 

 

 

 

 

 

 
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 兵庫県朝来市にある竹田城址ですが、天空の城とも言われ有名ですね。一度だけ行った事がありますが東海地区に在住の自分には結構な遠出なので多くは行けないかなぁと思っています。竹田城址は戦国時代の遺跡という事ですが、冬は積雪もあるようなので12月下旬~2月あたりを避けた方が良いかも知れません。また雲海を夜明け前から狙うようなマニアは充分に注意が必要でしょう。
※山開きの時期や入城可能エリアなど詳しくは、朝来市のサイトで確認するのが良さそうです。
 竹田城は、日本のマチュピチュとも称されますが、撮影スポットとしては、藤和峠の展望スペース、立雲峡(りつうんきょう)、 大倉部山、金梨山、但馬自然学校など色々とあるようで、雲海と組み合わせるというのが難しいかも知れませんね。一度、行っただけの自分では、当然ながら雲海に浮かぶ竹田城址という訳には行きませんでした。
 また、天空の城といえば、岡山県高梁市にある備中松山城、福井県の越前大野城など、それほど知られていませんが、行ってみたいと思っています。
 天空の城と言えば、ジブリ映画で「天空の城ラピュタ」も有名ですね。ラピュタにたどり着いた時に城を守っていたロボット兵も印象的で、やはり天空の城と聞くと夢を感じますね。現代に残る天空の城「竹田城址」に興味を持たれた方は、少々、遠いかもしれませんが、いつかは行かれると良いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 
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 愛知県は、英雄の生まれた場所で戦国時代にもっとも影響を及ぼした三人の武将(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)、三英傑の生誕の地として有名と説明してきました。
 続いて、写真は、大坂城です。豊臣秀吉が浄土真宗の本山として栄えた本願寺の跡地に1583年に大坂城の築城工事を開始したとされています。秀吉は、織田信長の安土城をモデルとしつつ全てを終える城を築城からわずか 1年半後の1585年には天守を完成させたとされています。まだ、不安定だった秀吉の政権が権力の強さを示す象徴としての天守を早く完成させたかったと思われますが、天守完成後も断続的に城造りが進み築城開始から15年の歳月を掛け徐々に築き上げられたようです。この時の大坂城は、現在の大阪城公園の約 4倍の広さとされていて4重の堀に囲まれた日本一の巨城だったらしいです。
 その後、秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳ですが徳川幕府は、焼け落ちた豊臣の大坂城の上に盛り土をして完全に埋めてしまい、その上にまるごと新しい徳川の大坂城を築きました。秀吉が築いた大坂城を消し去って、さらに大きな徳川スタイルの城を築くことで、徳川時代の到来を目に見える形で示したとされています。
 しかし、大坂城ほど大規模な城の築城者が、何故か豊臣秀吉と思われている?という不思議な状況が存在します。城主は歴代将軍ですが、将軍自身の入城がほとんどなく徳川嫌いの大坂の民が豊臣の城だと言い続けたみたいですね。その後、学術調査で地下からは火事の痕跡や石垣の発見で豊臣の大坂城が地下にそのまま眠っていることが分かっています。
 何となく、なごや嬢から、戦国三英傑を思い出して写真を探してたら都合よく名古屋城、清須城、岡崎城、大坂城の写真が見つかったので少し調べながら描いてみましたが、天下統一を目指した3人の戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」ってスゴイですね。でも戦争だらけだったなんて信じ難いですが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 
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 写真は、徳川家康が誕生したという岡崎城で愛知県の岡崎市にあります。
岡崎城は、日本100名城、日本の歴史公園100選にも選ばれている城跡です。
 家康は、幼少期に10年という長い期間を織田信秀(信長の父)、今川義元の人質となっていましたが、桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した事により自立したのが19歳で以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。1560年に岡崎城主となった家康ですが、10年後の1570年には本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)へと移し、嫡男信康を岡崎城主としました。秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳です。将軍・徳川家康の生誕の地である岡崎城主は、大名にとって誇りだったと伝えられていますよ。
 このように愛知県は、英雄の生まれた場所で天下統一を目指した3人の戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」、三英傑の生誕の地として有名ですね。

 

 

 

 

 

 

 
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