ピぴっ-ぃぴっ-タン の お告げ

嫌われる事が多い?B型(血液型)ですが、気楽に好きな事をつぶやきます。

2020年07月

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 兵庫県朝来市にある竹田城址ですが、天空の城とも言われ有名ですね。一度だけ行った事がありますが東海地区に在住の自分には結構な遠出なので多くは行けないかなぁと思っています。竹田城址は戦国時代の遺跡という事ですが、冬は積雪もあるようなので12月下旬~2月あたりを避けた方が良いかも知れません。また雲海を夜明け前から狙うようなマニアは充分に注意が必要でしょう。
※山開きの時期や入城可能エリアなど詳しくは、朝来市のサイトで確認するのが良さそうです。
 竹田城は、日本のマチュピチュとも称されますが、撮影スポットとしては、藤和峠の展望スペース、立雲峡(りつうんきょう)、 大倉部山、金梨山、但馬自然学校など色々とあるようで、雲海と組み合わせるというのが難しいかも知れませんね。一度、行っただけの自分では、当然ながら雲海に浮かぶ竹田城址という訳には行きませんでした。
 また、天空の城といえば、岡山県高梁市にある備中松山城、福井県の越前大野城など、それほど知られていませんが、行ってみたいと思っています。
 天空の城と言えば、ジブリ映画で「天空の城ラピュタ」も有名ですね。ラピュタにたどり着いた時に城を守っていたロボット兵も印象的で、やはり天空の城と聞くと夢を感じますね。現代に残る天空の城「竹田城址」に興味を持たれた方は、少々、遠いかもしれませんが、いつかは行かれると良いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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昨日の晩ご飯はケンタッキーフライドチキンにしました。
50周年デザインの箱にチキンが入ってます。

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この写真は、数量限定のレッドホットチキンです。数量限定と言っても、ちょいちょい販売される定番の数量限定なので次の機会を待てば大丈夫です。レッドホットチキンは、少し辛い味付けを好む方にお勧めでレッドペッパーとホワイトペッパーにハバネロを利かせたキレのある辛さとという事で辛口チキンとなっています。

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写真はコールスローでみじん切りのキャベツ、ニンジンにタマネギ風味が加わったコールスロードレッシングに漬け込んだサラダという事で、揚げ系の途中に食べる箸休めにとっても良いです。

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レッドホットチキンとオリジナルチキン。見た目からもレッドホットチキンの方が辛そうですね。

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 食卓に並べる際は、皿に移すとファストフード感がなくなります。ポテトも皿からの方が食べやすくなって良いですね。ケンタッキーフライドチキンを好きな方も多いと思いますが、定番のオリジナルチキン以外にも数量限定が発売される事がありますので違う味も食べたい方は、限定で販売されてる時がお薦めです。
 コロナの第1波で自粛の時は、ケンタッキーフライドチキンのドライブスルーは大行列になってました。そろそろ第2波が到来してきた雰囲気なので、またケンタッキーフライドチキンが人気になりそうですね。やはりケンタッキーフライドチキンは、根強いファンに守られてますよね。
「我がケンタッキーフライドチキンは、永久に不滅です」







 






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 何かと便利な世の中になりましたが、連絡が煩わしいとか思った事ないですか?便利に役立つ事も多いのですが、それほど人と関わりたくないって時もありますよね?実は、ガラケーって必要最低限の連絡手段として都合が良いと思いませんか?LINEをインストールしたら本体に登録されてる人に勝手に通知されるとか想定外だったり。
 ブログ主の私は、本気でガラケーユーザーなのでLINEの事とか分かってません。ただ、スマホばかり見てる人々を見掛けると何だか残念な気持ちになります。但し、ガラケーで不便だなぁと思っている事も多々あって、それでも周りの人たちがスマホなので、どうしてもその場で調べたい事があれば、誰かが調べてくれてます。。。。ガラケーでも大昔に存在してたら超スゴイ事なんですが、スマホしか知らない世代から見れば大昔の出来事に分類されてしまうという悲報でした。

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 愛知県は、英雄の生まれた場所で戦国時代にもっとも影響を及ぼした三人の武将(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)、三英傑の生誕の地として有名と説明してきました。
 続いて、写真は、大坂城です。豊臣秀吉が浄土真宗の本山として栄えた本願寺の跡地に1583年に大坂城の築城工事を開始したとされています。秀吉は、織田信長の安土城をモデルとしつつ全てを終える城を築城からわずか 1年半後の1585年には天守を完成させたとされています。まだ、不安定だった秀吉の政権が権力の強さを示す象徴としての天守を早く完成させたかったと思われますが、天守完成後も断続的に城造りが進み築城開始から15年の歳月を掛け徐々に築き上げられたようです。この時の大坂城は、現在の大阪城公園の約 4倍の広さとされていて4重の堀に囲まれた日本一の巨城だったらしいです。
 その後、秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳ですが徳川幕府は、焼け落ちた豊臣の大坂城の上に盛り土をして完全に埋めてしまい、その上にまるごと新しい徳川の大坂城を築きました。秀吉が築いた大坂城を消し去って、さらに大きな徳川スタイルの城を築くことで、徳川時代の到来を目に見える形で示したとされています。
 しかし、大坂城ほど大規模な城の築城者が、何故か豊臣秀吉と思われている?という不思議な状況が存在します。城主は歴代将軍ですが、将軍自身の入城がほとんどなく徳川嫌いの大坂の民が豊臣の城だと言い続けたみたいですね。その後、学術調査で地下からは火事の痕跡や石垣の発見で豊臣の大坂城が地下にそのまま眠っていることが分かっています。
 何となく、なごや嬢から、戦国三英傑を思い出して写真を探してたら都合よく名古屋城、清須城、岡崎城、大坂城の写真が見つかったので少し調べながら描いてみましたが、天下統一を目指した3人の戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」ってスゴイですね。でも戦争だらけだったなんて信じ難いですが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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 写真は、徳川家康が誕生したという岡崎城で愛知県の岡崎市にあります。
岡崎城は、日本100名城、日本の歴史公園100選にも選ばれている城跡です。
 家康は、幼少期に10年という長い期間を織田信秀(信長の父)、今川義元の人質となっていましたが、桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した事により自立したのが19歳で以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。1560年に岡崎城主となった家康ですが、10年後の1570年には本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)へと移し、嫡男信康を岡崎城主としました。秀吉が世を去ると、家康は天下を狙い1600年に関ヶ原の戦いで勝利し、さらに1614年、1615年の大坂の陣で豊臣家を滅亡させ天下を治めた訳です。将軍・徳川家康の生誕の地である岡崎城主は、大名にとって誇りだったと伝えられていますよ。
 このように愛知県は、英雄の生まれた場所で天下統一を目指した3人の戦国武将「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」、三英傑の生誕の地として有名ですね。

 

 

 

 

 

 

 

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